場所  兵庫県津名郡一宮町多賀740   0799 (80) 5001

神宮祭事記
例  祭・・・4月20日夕〜22日・粥占神事・・・1月14日宵〜15日朝 湯立神事 立春 立夏 立秋 立冬の四節季

いざなぎ神宮


イザナキ、イザナミの二神を祭る大社です。
古事記・日本書紀によると、国生みに始まるすべての神功を果たされたいざなぎの大神が、御子神なる
天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構
えて余生を過ごされたと記されています。境内地は約1万5千坪。天然記念物の夫婦大楠など照葉樹林
に覆われ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社です。





『古事記』や『日本書紀』にその名が登場する「おのころ島」。それらの記述によると日本の国生みの原点となった「おのころ島」
が、淡路島周辺のどこかにあるという神話が淡路に伝わっている。人間が生まれるはるか昔、神様は天上の世界におられた。
ある時、天上の神々が男神・伊弊諾(いざなぎ)と女神・伊弊持(いぎなみ)に「地上はまだ漂うばかりだから、これを固め、国を
造りあげよ」と命じた。伝説上ではこの頃の世界には大地がなく、どろどろの状態だったようである。命令を受けた伊弊諾と伊弊
良は協力して「天の浮橋(あめのうきはし)」から「天の沼予(ぬほこ)」でぎろどろに荒れていた海原をかき回した。矛を上げたと
きに、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固り島が誕生したという。そしてその島が「おのころ島」といわれ、現在の淡路町の絵島、
洲本市の成山、南淡町の沼島ともいわれている。伊弊諾、伊井頼の二神は「おのころ島」に降り立ち「天の御柱」を建て御殿を
造った。そこで男の神・伊弊諾は女の神・伊弊卑に「あなたの身体はピうなっているのか」と尋ねた。「わたしの身体には足りな
いところが1ケ所あります」と伊弊舟は答え、伊弊諾は「わたしの身体には余っているところが1ケ所あります」と答え、お互いを合
わせて国を造ろうと交わされた。最初に淡路島を生み、そのあと四国、隠岐の島、九州、最後に本州をお生みになった。
日本列島の最初の陸地として登場したのが、淡路島といわれている。



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